2014年6月14日土曜日
ブログ間リンクバナー
同一内容の投稿ページにおいて、1st 2ndのブログ間を横断するリンクバナーを制作した。
母屋と離れをつなぐ渡り廊下の、その看板という趣。
理由は主に、まるで行き止まりの路地裏のようなモバイル版の為だ。アクセシビリティが余りに悪い。
PC版には互いにブログのリンクがあり、当該ページにリンクを張るにしても、テキストで済む話だが、バナーにしたのは、より目立たせるのが目的。ただし不調法にも、後付けな上、手動設定の為、全頁付けるとは限らない。今後随時追加していく予定。 #art #painting
ところで、そもそもミラーサイトを敢えて作った理由は、フェイルセーフ以外にもある。
1枚の絵の印象が、額装や背景によって変化する機会を捨てがたかったからだ。
画像の拡大縮小を頻繁に繰り返していると、単一のカラーコードでも、その面積によって印象が随分違うことに気付かされる。
また、様々な切り口を提供してくれる1stブログの動的ビューテンプレート(特に”Mosaic”の変化する初期表示)も、レイアウトによる印象の変化について少なからず示唆を与えてくれている。
背景も含め一つの絵なのだと広義に解釈することは、さまざまな色合いの組み合わせや構図を学ぶ観点があれば、多少は許されることだろう。一般的に組み合わせによって印象が変化することは言うまでもないが、冗漫に並べるだけでなく、その距離感、面積、形を問うことは、絵を描くプロセスと相似形だ。絵とは、大小様々なレイアウトの集積なのだ。
一方、こうしてブログの体裁に時間を割くことは、その学習効果はあるにせよ、その分絵を描く時間が削られるのだから、今は雑事に類する。その効果のほどは今後次第だが、ブログ再開後間もないので、軌道に乗るまでは仕方がない部分もある。
また、ブログの体裁をどんなに整えようとも、それは類型化の始まりであって、その多くの部分が他力本願で、根本的に電力やデジタル機器、ソフトウェアがなければ成立しえないことも忘れてはならない。実際に、自分が紙に描いた作品よりその画像の方が、ソフトウェアによる”化粧”とバックライトによって数段良く”映る”のだ。まるでそれ自体俳優のように。
育てた木で紙を漉き、鉛筆や絵具を一から作るわけではないが、出来る限り自力で、かつ自分の思考の所産でなければ、描いたその絵がこの世で唯一無二のものにはなりえないだろう。
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